大黒柱の苦悩

sasisusekiyama2005-03-19

 エース。それはチームの大黒柱でもあり、投手陣の象徴的存在だ。すなわちエースが故障でもすればチームは機能しなくなってくる。ジャイアンツの上原浩次。巨人を越えてセ・リーグのエースだ。1年目に20勝を挙げ、タイトルを総なめ。押しも押されぬ巨人のエースとなった。140キロ後半のキレのあるストレートと落差のあるフォークボールで打者を圧倒する。加えてコントロール。調子のいいときはキャッチャーの構えたミットのところに吸い込まれるようにピタピタと決まる。フォークをこれだけ操れる投手はそうはいない。あのメジャー年間73本塁打ボンズを3打席連続三振にとったときは圧巻だった。 松坂大輔。ライオンズのエース。日本のエースと言ってもいい。1998年、横浜高校時代甲子園で春夏連覇を達成し西武へ。初登板となった試合でファイターズ片岡篤を155キロのストレートで空振り三振にとったときは誰もがビックリした。150キロを越える真っ直ぐと140キロに迫る高速スライダー。こんな球野球をしてた人はわかると思うが、想像するだけでビビってしまう。てか想像できない。紹介したこの2人はおそらく数年でメジャーに挑戦するだろう。
 プロだけじゃなく様々なチームにもエース=大黒柱は存在する。高校時代のエースもまさにその一人。高校に入学したときからその抜群のセンスでレギュラーを勝ち取り、1年でクリーンナップを務めていた。走功守。3拍子揃った選手。野球選手なら誰もが憧れる3拍子というものを彼は備えていた。肩も強く遠投は110メートルを記録していた。ここまでくると雲の上の存在だ。上級生になってからはもちろんエースを任された。130キロ後半のストレートを持つ彼はそう打たれない。落差の大きいカーブとストレートと同じ速度で曲がるスライダーで練習試合ではノーヒットノーランを2回記録している。しかしこんな投手でも苦悩はたくさん持っていた。あいつだったら公式戦でも楽に1回戦を突破できるだろうと思っている周囲の期待。これだけ期待されているのに結果を出さないと裏切ってしまうというエースの思い。相当なプレッシャーだったはずだ。しかも入学してから公式戦の勝利がゼロだったためさらに苦しかっただろう。他のメンバーも最初はこのエースばかり頼っていた。あいつが無失点に抑えてくれるだろうから・・・みたいな雰囲気。相手に先制点を取られると普通反撃ムードが高まるものだが沈みっぱなしのベンチ。ギリギリのところで踏ん張っている投手がかわいそうだった。公式戦でなぜか勝てない・・・その責任感と重圧はエースをとことん苦しめただろう。それじゃあ140キロを出さないといけない。その焦りから調子は崩れていく一方だった。キャッチャーだった僕がもっとしっかりとしないといけないのに、自分も頼りっぱなしだった。エースが苦悩しているにも関わらず、モノマネをしたり違う打席でバッティングをするふざけるやつ。たまに自己満だけの世界にはいっていた控え投手。監督が来ないとわかれば部室に行き、メールをしていたバカなやつ。いつもなぜか自分を過大評価していた意味不明なやつ。ため息も出なかった。怒る気にもなれなかった。マジメにやっているやつが逆にバカだと思ってしまうほどの練習態度のときもいっぱいあった。本来ならピリピリムードで練習しないといけないのに大体がフワフワムードだった。フワフワムードの方が楽だから、まあこれでもいいかと思っていた自分にも悔いが残る。エースは苦悩していたのにだ。本当にすみません☆よく帰り道のローソンで食べ物を買い、チャリでサンドウイッチなどを食べながら愚痴や悩みを言い合ってたっけ。エースはチームのことをよく考えていた。キャプテンのサルよりも考えていたのかもしれない。まさにチームの大黒柱だった。