MEMORY①

sasisusekiyama2005-03-23

 小学生時代、本当に野球が好きだった僕はずっとプロ野球中継に夢中だった。プロ野球選手に憧れていた。きっと大きくなったら自分もプロ野球選手になっているんだろうな。そう思っていた。まさに野球少年だった。そこで、小学生だった自分が凄いと思った選手を少し紹介したい。
 斎藤雅樹。2年連続20勝を記録したこともある平成の大投手。巨人の3本柱(斎藤、槙原、桑田)と呼ばれていた中の象徴的存在だった。サイドスローから140キロ後半のストレートと切れ味抜群のスライダーを投げていた。(本人はカーブのつもりらしいが)アウトコース低めのコントロールが抜群に良く、見逃し三振するバッターが多かった。当時阪神ファンだった自分はテレビをつけて斎藤が投げていたら負けを確信していた。それほど安定していた。安定感では上原を遥かに凌ぐ。完投能力も高く、特に阪神戦は完封勝利ばっかりだった。200勝は確実と思われいた。タイトルも数多く取り、球界のエースに長く君臨し続けた。97年の開幕戦でヤクルトの小早川に3打席連続ホームランを打たれたとき、当時アンチ巨人だった僕もショックだった。
 伊藤智仁。新人の年に防御率0.91という圧倒的な数字で新人王を獲得した記憶に残る大投手。あれは僕が野球を始めたころの試合だった。場所は確か石川県営野球場。巨人対ヤクルト戦。たまたまテレビでこの試合を観ていた僕は初めてゾクゾク感というものに出会った。新人投手が巨人相手に8回まで無失点。しかもセ・リーグ記録である1試合16奪三振という離れ業までやってのけたのである。9回2死から篠塚にサヨナラホームランを打たれ、グローブを叩きつけてた様子が今でも脳裏に焼きついている。最速153キロのストレートに、何と言っても伝家の宝刀と呼ばれていた高速スライダー。スライダーと打者がわかっていても打てなかったらしい。まさにその通りだった。高速スライダーは伊藤の代名詞だろう。テレビで観戦していても細身なのに恐ろしいほど威圧感があった。今スライダーを武器としている投手はたくさんいるが、伊藤ほど凄いスライダーを投げる投手はいない。古田も伊藤が今まで受けてきた中で1番の投手と言っている。広島の主砲だった江藤もホームベースの角から角に曲がったと当時言っていた。まさに記憶に残る偉大な投手だった。


斎藤雅樹☆ 通算成績・・・180勝96敗11S勝率.652防御率2.77。主なタイトル・・・最高勝率3回(90,92,96)、最優秀防御率3回(89,90,96)、最多勝5回(89,90,92,95,96)、最多奪三振1回(95)。表彰・・・最優秀選手1回(90)、ベストナイン5回(89,90,92,95,96)、ゴールデングラブ賞4回(,90,92,95,96)、沢村賞3回(89,95,96)、最優秀投手5回(89,90,92,95,96)。記録・・・最優秀防御率3回、最多勝利5回、ベストナイン5回、11連続完投勝利、開幕戦3年連続完封勝利。

伊藤智仁☆ 通算成績・・・37勝27敗25S防御率2.31。主なタイトル・・・新人王(93)。表彰・・・カムバック賞(97)