パイオニア

sasisusekiyama2005-03-29

 日本人メジャーリーガーは今年16人もいる。本当に増えた。野茂が1995年にドジャースと契約してから10年が経った。あれから10年も経過したと思うと、まだ現役投手として活躍している野茂は本当に凄いなと思う。ドジャース、メッツ、カブスブリュワーズ、タイガース、レッドソックスドジャース、そして今年デビルレイズに入団。8球団を渡り歩いた。日本人メジャーリーガーの開拓者だ。
 ソウルオリンピックで日本のエースとして活躍し、ドラフトでは8球団からの指名を受け近鉄バッファローズに入団。期待通りの活躍を見せ、見事新人王に輝いた。トルネード投法と呼ばれる独特のフォームから迫力満点のボールを投げる。150キロのストレートにとんでもない落差のフォークボールで三振の山を築いた。日本球界の顔にまで成長した。「ドクターK」。三振の数があまりにも多いために名づけられたあだ名だ。清原との名勝負は今でも有名だ。ストレート真っ向勝負。迫力があった。1995年に突然のメジャー挑戦というニュースには誰もが驚かされた。移籍先はロサンゼルス・ドジャース。名門チームなので無謀だと言われていた。日本中が野茂の初登板に注目した。1995年4月30日。対戦相手はサンフランシスコ・ジャイアンツボンズ、ウィリアムスといった豪華なチームだった。結果は5回を投げ無失点。三振は投げたイニングの5回を越えて7個奪った。勝敗には関係なかったが素晴らしい投球内容だった。メジャーに行ってもトルネード旋風を巻き起こして新人王を獲得した。野茂の1年目の成績は・・・13勝6敗、防御率2.54。奪三振は236を記録し、奪三振王も受賞した。この当時の圧倒的な活躍から「♪ノモが投〜げればダイジョウブ♪」という歌も作られた。マイク・ピアザとのコンビは日本でも有名になった。野茂のメジャー挑戦は他の選手にも影響を与えた。その活躍によって日本人選手が評価されてルートが広がった。松井やイチローも野茂無しではメジャーに行けていなかっただろう。野茂はノーヒットノーランをメジャーで2度も達成した。両リーグでのノーヒットノーランを達成したのは長いメジャーの歴史のなかでも4人しかいない。本当に凄いことだ。最近の野茂は全盛期に比べスピードが落ちてしまった。しかしコントロールでスピードの分を補って打者を翻弄している。松井やイチローの記録も気になるが、日米通算200勝まであと4勝と迫っている野茂の記録にも注目してほしい。

 
 日本の通算成績(5年)・・・78勝46敗1204奪三振☆主なタイトル・・・最多勝4回(90,91,92,93)、奪三振王4回(90,91,92,93)、最優秀防御率(90)、最高勝率(90)、沢村賞(90)、ベストナイン(90)、新人王(90)、MVP(90)各1回受賞☆